• 皆もすなるブログといふものを 吾もしてみんとて?

新しい曲に入る時、CD等の他人による演奏は極力聴かないようにしています。

 

昔から、気に入ったものを見つけるとそれに引き摺られて模倣に走り、「自分の」作品が作れなくなる癖があります。小学校の図画工作に始まり、学生時代の論文しかり、そして、ピアノの演奏しかり。

先に素晴らしい演奏を聴いてしまうとイメージが固定されてしまって、譜読みが疎かになるのです。これでは誰かの演奏の模倣にしかなりません。それも劣化版です。

 

子供の頃、家にあったCDでベートーヴェンの月光やショパンの幻想即興曲などを聴いて好きになり、中高生時代の発表会ではそんな曲ばかり弾きたがっていました。

でも、ここに今だから分かる落し穴が・・・

家のCDを聴いてその曲を気に入った私は、そのCDだけを何度も聴きました。人によって、あるいは同じ人でも年齢によって表現が変わることなど知りもせず、たった一人による、たった一度の演奏だけを聴き続けたのです。

これは、当時の私がアイドルなどの芸能人にも疎く、「CDを買って聴く」という感覚を持っていなかったことも一因かなとは思うのですが・・・とにかく、このせいで私は、楽譜を読む前に、頭の中に明確な曲のイメージだけを作ってしまったのです。

イメージはあっても、まともに楽譜を見ていないので、なぜそうなるのかだとか、曲全体の構成だとか、全く考えていません。

もちろん当時お世話になっていた先生方は、きちんと説明してくれていました。ただ考えることを面倒がった私が、左の耳から右の耳へと聞き流していたのです。

結果、できたのはプロの演奏をまるっと猿真似しようとして、でもテンポは追いつけず、表現も理解不足で中途半端な、ある意味微笑ましい、でも今思い返すと穴掘って埋まりたくなるような、子供の演奏でした。

 

この譜読みが疎かになるというのは、表現面だけにとどまりません。私の性格上、曲が先に頭に入ってしまうと、そもそもの、いわゆるオタマジャクシを拾う作業が雑になり、細かい部分で違う音を弾いていたりするのです。結果、随分と後になってから間違いに気づき、手が覚えてしまった形を修正するのに苦労したりします。

 

と、ここまで人の演奏を聴く弊害ばかり書いてきたようですが、プロの演奏はたくさん聞いたほうが良いと思っています。というか、私も聴いています。

ただし勉強中の曲に関しては、自分で納得がいくまで楽譜を読み込んでから、もしくは行き詰ってどうにもならなくなってから、参考として聴くことにしています。効果は覿面で、悩んでいた部分の解決はもちろん、それ以外でも曲のイメージがより鮮明になります。

とはいえ、既に「自分なりの」イメージがある程度固まった後なので、どんなに素晴らしい演奏を聴いても、引き摺られて模倣になるようなことはありません。「参考になる」程度でとどまることができます。あくまで「自分感覚」でのことですが。

 

ただ、いつまでもこのやり方ではいけないこともわかってはいます。発表会の曲などは、好きな曲を探す時点で当然音源を求めますし、私の今のレベルから言って、「弾いたことが無いけれど、これから先弾くであろう曲」はたくさん、それはもう無数にあるのですから、それらを自分が追いつくまで聴かないというのは余りに勿体ないですよね。

ほとんどは私の意識次第なのです。ちょっとした甘えを排除し、「ついつい」楽譜を流し読みする癖をやめれば済む話なのですが・・・道のりは長そうです。

 

折衷案は、気に入って何度も繰り返し聞いてしまった曲は、手を付ける前に一度離れて、時間をおいて熱を冷ましてから譜読みに入ること。

もう一つは、逆にその曲の、色々な人による色々な演奏をとにかく沢山聞くこと。ただしこれは「猿真似」防止にはなりそうですが、譜読みが雑になる点は自分でコントロールする必要がありそうです。

 

来年の発表会の曲が早々と決まりましたが、このどちらかで手を打ってみようと思います。時間はたっぷりあるし、まずは後者から試してみようかな・・・

 


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