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高橋大輔さんが現役復帰を発表しました。

実は、以前に浅田真央さんのエキシビション「チェロ・スイート」についての記事を挙げた時、チェロ「一本で」と書きながら、そういえばこんなのもあったな、と思い出していたもう一つのプログラムがあります。

高橋大輔さんの「ブルース・フォー・クルック」2011-2012FS

https://youtu.be/7Fffnk8irQo

 

これもまた、ギター「一本」の調べを見事に乗りこなしての演技で、最初から最後まで集中して見入ってしまいます。(正確には、ドラム? も入っているし、ギターではなくシンセだとも聞きますが、方向性としては同じかなと)

 

ピアノだけは例外というか少し趣が異なりますが、基本的に、楽器一本のみの演奏に乗って踊り、なおかつ観客を惹きつけるには、かなりのテクニックとカリスマ性を求められるのではないかと思っています。

この 「ブルース・フォー・クルック」 も、曲自体は割と単調な印象です。もともとこのジャンルに興味の薄い私などは、音だけを聴いていたのではおそらく盛り上がり部分も何となく聞き流し、途中で飽きてしまうと思われます。それが彼の演技と合わさることで、とてもメリハリのある音楽に聞こえ、最後まで食い入るように見てしまったというのは、彼の演技にそれだけの力があったということでしょう。

 

オーケストラ と ソロ

オーケストラで踊る時は、曲に負けないだけの迫力やエネルギーのようなものが必要になってきますが、逆に、踊り手の迫力不足を音が補ってくれたり、音楽が後押ししてくれて実力以上に上手く踊れたりすることもあります。つまり、ごまかしがきき、初心者でも無難にまとめやすい。そんな一面もあると思うのです。

 

しかし独奏曲で踊るとなればそうはいきません。

そもそも独奏——ソロというものは、オーケストラと比較すれば絶対的に音の数が少なく、迫力に欠けるものです。その一方で聴き手の意識が集中しやすく、素晴らしい演奏であれば、かえってその音色の美しさが際立ちます。

そんな音楽を生かす踊りとはどんなものなのか。

曖昧な喩えになりますが、私は、ピンと張った細い一本の糸が切れないよう、そして緩まないよう、踊り手自身がつないでいくというイメージを持っています。

音をしっかりとつかまえて、音楽と一体になる。繊細な音楽と演技とがピタリと嵌まった時というのは、会場中が息をひそめて、どんな小さな動きも見逃さないようにと集中するように思うのです。

 

もちろん、素晴らしい踊り手がオーケストラを従えて踊るとき、それは独奏とはまた違った迫力あふれる舞台となります。そもそもオーケストラとソロとでは土俵が違っていて、比較し優劣をつけるようなものではないのでしょう。

オーケストラ曲を使おうと独奏曲を使おうと、つまらない演技はつまりません。ただ、独奏曲を使用してつまらない演技をしてしまうと、ただつまらないだけでなく、貧弱さ、迫力不足と相まって空気が白けるように感じるのです。

 

オーケストラは貧弱な演技を押しつぶす可能性がある一方で、足りない部分を補い、後押ししてくれる要素も持っています。それに対して独奏は、演技の素晴らしさをより引き立てることはあっても、拙さをフォローすることはありません。

 

高度なテクニックと表現力を身につけた実力者だけが踊りこなせる独奏曲。

ある意味、独奏曲を使用することこそが実力者のステータスといえるのかもしれません。

 

ベテランが目指すもの

さて、ここで熟練の表現者、高橋大輔さんの話に戻ります。

「自分だけのために」戻ってきたベテランというのは、とても嬉しい存在です。

以前の体力が戻るかは分からないし、「成績」という形で分かりやすい結果を残すのは難しいのかもしれません。それでも、私は彼にしか作れない世界をまた見られるのがとても嬉しいし、一流の表現というものを若手選手たちに見せつけてくれることを期待せずにはいられません。

 

ダイナミックなジャンプはそれだけで心が躍りますし、プログラム全体を引き締めてくれます。そして点数に直結します。彼自身、「4回転ジャンプを二つは入れたい」という発言がありました。選手として試合に出る以上、それは当然のことだと思います。

ですがその一方で、やはり表現あってのフィギュアスケートだとも、私は思うのです。

一つ一つの技を単品で抜き出し評価するのは審判の仕事です。私は審判ではないので、楽しむことを第一として観戦します。・・・・・・というか、審判の下す採点をいちいち気にしていたらストレスがたまるばかりだというのは嫌というほど学習しました。彼らと自分は価値観が違うと割り切るのが、ストレスフリーで楽しむ秘訣です。

曲中で跳んだ一つのジャンプのエッジがどうだったかよりも、プログラムを最後まで見終わったときに、「素敵なものを見た」と満足のため息をつきたい。

ころころと変わる基準で出された「世界最高得点」よりも、自分の中の絶対的価値観に基いて「最高だ」と思える演技が観たいのです。

 

 

たとえジャンプを飛ばなくとも、あるいは失敗したとしても、そんなことはどうでもよいと思えるような演技が、世の中にはあります。

また、試合というピリピリした現場でしか発現しない演技もあります。

復帰した高橋選手は、これを見せてくれようとしているのではないかと、私は期待しているのです。

 

まずはこの一年間。怪我せず、彼が「やり切った」と思えるような時間となるよう、願っています。


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