日々、モーツァルトのソナタをちまちまと進めています。
まずは一度弾いた曲から手を付けていっているのですが、その合間にちょくちょく挟まってくる曲者が・・・二楽章のアダージョです。緩徐の章というのでしょうか。
楽譜の書き込みや日付を見るに、子供の頃は一楽章がメインで二楽章はほとんどスキップしていたようで、そこだけきれいなまま残っていたりします。当時習っていた先生の判断でしょうが、正解としか言いようがありません。
当時の自分を思い返しても、プロを目指すわけでもない、ちょっと譜読みが早くて指が動くだけの理解力の無い子供には、弾かせるだけ無駄だったかなと思います。
あっという間に譜読みだけして「弾けた!」と胸を張る幼い自分が目に浮かぶようです。
ピアノを弾くのは大好きでしたが、それに付随するお勉強は嫌いだったのです。楽典とか、曲の構成とか、折に触れて先生たちが説明してくれていた記憶はあるのですが、内容はうろ覚え、見事に聞き流していたという記憶だけはあります。
・・・と、そんな子供も歳を重ね、少しはお勉強の楽しさと必要性を理解できるようになりました。
そこで挑戦する第二楽章。
何というか、安定した低空飛行を求められるような気分です。で、空中での態勢を支えきれず、推進力も足りずに途中で力尽きてぼてっと落ちる。
冒頭に「p」なんて書き込まれていたりすると、もうダメです。
まったく芯の無い、ひょろひょろっとした音で始まり、消えそうになって慌ててアクセルを踏んだ結果、勢いあまってガツン! とぶつけて大破という・・・
大切なのは音の大きさというよりは音色や雰囲気であって、ことさら小さな音で引く必要はないのでしょうが、やわらかな音を出すのがとても難しく、なんだか音がでこぼこします。
しかも、アダージョだけあって一音の長いこと。特にメロディーをゆったりと奏でている右手は音符の数が少なく、コロコロと音が転がるようなアレグロとはまた違った意味でミスタッチが目立ちます。
間違えた音は、そのまま押さえ続けるか、正しい音を押さえ直すかの二択。どちらにしても悪目立ちすることは変わりません。
少ない音符で歌う右に対して左手は大抵十六分音符です。右手をかき消さないように抑えつつ、でも和音の変化は聴かせたい。
また、四拍子で歌う右手に合わせた十六分音符というのは意外とテンポが速いもので、バタバタした印象にならないように……と、こんな調子で左手に気を取られすぎると、四分の四拍子の曲の筈がいつの間にか八分の八拍子になっていたりもします。アダージョだからと油断してテンポを落としすぎるのもアウトですね。
そんなことを色々考えながら弾いていると、弾き終わったときには疲労困憊になっています。
それでも弾き続けているうちにだいぶ歌えるようにはなってきますが、頭の中で流れる歌を支えきるだけの腕がないため、満足いく演奏はなかなかできません。
とてもではないですが、録音なんてしようものなら完全に心が折れます。
プロの演奏はとても心地よく聴けるのですが、へたっぴな素人の身としては、発表会等では絶対に弾きたくない曲のトップに君臨している緩徐楽章。これを堂々と人前で弾けるようになったら、かなりの自信につながるのでは。
地道に丁寧に。忍耐力の見せどころです。