• 皆もすなるブログといふものを 吾もしてみんとて?

昨年末から、モーツァルト強化期間に入っています。

ここ数年ドビュッシーやシューマン、ショパン、フォーレ、またシューマン(順不同)と、ロマン派や印象主義が続いていた流れからの、モーツァルト。

レッスン内容が、がらりと変わりました。

これまでもかなり細かく指導していただいていると思っていたのですが、モーツァルトになった途端、一曲ごとに受ける指摘箇所が大幅に増えました。

譜読みした曲をまず先生の前で弾いてみた後、そこからが本番です。

4~8小節単位で降り注ぐ、指摘に次ぐ指摘の連続攻撃。それだけ私が「モーツァルトを分かっていない」ということでもあるのですが、これが、まじめに一つ一つを直していくと、本当に曲が見違えるのです。

モーツァルトの難しさ

モーツァルトをまじめに弾くようになって初めて気づいたことなのですが(今更とかいう突込みはどうか無しの方向でお願いします(笑))、とにかくミスタッチが耳につきます。ショパンやシューマンでは、流れの中で適当にごまかしてやり過ごしてしまえたことが、できません。だって、気になるのです。

コロコロコロコロと気持ちよく転がる中で踏み外すたった一つの音、その破壊力。ものすごく、目立ちます。一つ踏み外すたびに受ける精神的ダメージの大きさは、もともと失敗を引きずるタイプの私にとってはかなりの試練です。メンタルコントロールと、そもそもミスタッチをしないようにするためのテクニック面と、両方のトレーニングにうってつけな曲、それがモーツァルト。

弾くだけなら子供にも簡単に譜読みできるモーツァルトですが、人に聴かせる演奏をするのは、難しそうです。今思えば子供のころ弾いたモーツァルトは、自分が出している音に耳を傾けることもなく、ただおたまじゃくしを拾っただけのものだったのだな、と、とても良くわかります。

悔しいような勿体ないような、何とも言えない思いに駆られますが、でもその一方で、こんなことを思うのは、子供の頃とは違って今は自分の音を聴けるようになったからだと、己の確かな成長の証に思えて、少し嬉しくもなるのです。

音の粒をそろえて、かといって機械的になっては面白くない。聴いていて心地よく、心浮き立つような演奏を。

今目の前にあるソナタ二冊を終えるころには、人前で自信を持って演奏できる程度のテクニックとメンタルをを多少は身につけている筈と信じて、日々練習あるのみ。です。


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